当初予算編成に当たり、財務省原案が内示されると各省庁と財務省とが復活折衝を行い、政府予算案が出来上がるという仕組みがあります。2008年度予算については、調整財源が500億円であり、復活折衝の結果、この調整財源できれいに収まったそうです。
国においては、予算編成権が財務省にあり、それに対して各省庁が要求をしていくのですが、果たして内閣総理大臣は、どんな役割を担っているのでしょう。経済財政諮問会議が大枠を決める仕組みは、今も続いているのでしょうが、教員を増やしたり、地方交付税の額を決めたりという重要な場面での総理の姿が見えない感じがします。
復活折衝自体は、予算編成における重要課題を国民に見えるようにしたいという意図で行われているのですが、決まったことを演技しているように見えてなりません。役人同士の戦いのような感じが強く、文科省が7000人の増を要求した教員が1000人の増と非常勤7000人の活用で決着したのか、国民にとってどうなのかがわかりません。
ねじれ国会での予算案の議論がどのように進んでいくのか、見守りたいと思います。
地方自治体においても、類似の仕組みを取っているところが多いようですが、地方自治体は大統領制に近い仕組みを取っているので、復活折衝は、ますますコップの中の嵐のような感じが強くなります。首長の下で、皆で力を合わせて行政運営をしていかなければならない職員同士が、要求したり、復活折衝したりしているのは、変な感じですね。
静岡県では、予算編成は知事の権限との認識を強く意識して、復活折衝は、知事の下で予算を調整する作業として位置づけています。県全体の財政の状況を皆で認識して、財源も含めて全職員が情報を共有する中で、必要な予算を「要求する」のでなく、「調整する」という考え方です。行政職員の協働の結果として予算ができ、執行にも責任を持つということです。
私は、予算は、編成よりも執行が大事だと考えています。平成20年度の仕事を、今の時期に詳細まで決定してしまうことができるのかどうか。執行段階における弾力性を確保する必要があるのではないかと思います。この点については、予算の流用とか予備費の補充とか、さらには予算の補正とかが用意されています。
今、予算において議論すべきは、財政の健全化がどの程度進んでいるのかという点だと思います。基礎的財政収支の悪化とか、地方交付税特別会計における借金返済の先送りとか、復活折衝の結果、国の財政健全化は、ますます遠のいたと感じています。